人間誰しも来るべき時が来ればこの世を去るものですが、2017年5月台湾の有名な大御所司会者がこの世を去りました

 

その名も【豬哥亮】と呼ばれるお笑い系の司会者ですが、一定期間のブランクはありながらも数年前までテレビショーに出演し続けていたのです。

 

のみけんが台湾に留学していたころは丁度この方が事情あって退いていた時期だったのですが、今回は台湾の芸能人にとってこの方がどういう存在だったのかについて見ていきましょう。

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台湾の大御所司会者【豬哥亮】の賛否両論な人生

台湾人であれば誰もが知っていた司会者【豬哥亮】の存在ですが、実際のところ彼が歩んできた人生には光と影がある訳です。

 

多くの芸能人に対して恩恵を与えた一方で、プライベートでは賛否両論な部分も多々抱えていました。早速、彼が抱える功罪について詳しくチェックします。

自らの番組の中で多くの芸能人を世に送り出した

【豬哥亮】は1946年生まれで業界デビューが1980年、大御所司会者にしては比較的遅い船出だと言えるかもしれません。

 

しかし、デビューしてから5年後の1985年に始まった型破りの【豬哥亮歌廳秀】の司会ぶりでその名を全台湾に知らしめ、この番組に参加した多くの歌手を有名な存在へとのし上げていきました。

 

この番組に参加した歌手はもともと有名な者も多かったのですが、まだ知名度の低い歌手にパフォーマンスをする機会をこの番組で作るなど、いわゆるお披露目番組を彼は運営していたのです。

 

【豬哥亮】と共演することで知名度が上げてもらえる、多くの芸能人にとってはそのような認識でいたのでしょう。

私生活におけるスキャンダルで家族にも大きな苦痛

しかし、【豬哥亮】はギャンブルが非常に好きな一面を持っており、当時から台湾で人気のあったロトなどに巨額の資金をつぎ込みました。

 

一時期は、ギャンブルで現在の日本円にて換算すると4億円ほど儲けていたとされますが、その後欲が出てさらに多くの資金をつぎ込んだことでより大きな負債を抱えてしまうのです。

 

これによって1993年ごろから2009年の本格的復帰までは、取り立てから追われるように行方を暗ます期間も長くなっています。

 

また、彼自身がもともと持っていた女性問題や、芸人仲間からの借金問題もあって家族にも大きな苦痛を与えていたと言えるでしょう。

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2009年の業界復帰後における世の中の反応はどう?

1993年から1997年1999年から2009年までは【豬哥亮】が芸能界から姿を消していた期間です。

 

2009年から【豬哥會社】と呼ばれる、かつて彼が司会した【豬哥亮歌廳秀】と同じテイストの歌番組を担当することになりました。

 

この復活劇も、多くの彼を慕う芸人の協力があって実現したもので、世間から見るとみんなのおかげで戻ってこられたという認識だったと言えます。

レトロな歌番組の復活に多くの高齢者が喜んだ

ただ、その一方で【豬哥亮】が担当していたようなレトロ歌番組の復活が多くなったことで、台湾の高齢者からは概ね高い評価を得ていたことも事実です。

 

現在の台湾の番組はトーク形式のものが多いので、参加する芸能人も若いタレントがメインになっていることも否めません。

 

そのため、【豬哥亮】の復活は高齢者をテレビに呼び戻す大きな効果があったに違いないでしょう。

高齢の芸能人や歌手にとって急に仕事が増えた

また、【豬哥亮】の復活は彼とかつて仕事をしていた高齢の芸能人の仕事を増やしました

 

そもそも、以前ご紹介したことのある【台湾語流行音楽】のようなレトロな音楽を扱う番組は少なかったのです。

 

そのため、【豬哥亮】によって高齢芸能人や歌手は、出演する機会が突然増えたことで一時的にでも収入を伸ばすことができたと言えるでしょう。

 

さらに、彼が一時引退していた時期に活動し始めたタレントも、復活後の【豬哥亮】の番組で一緒に絡んだことでキャリアに花を添えた形になっています。
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【豬哥亮】は結果的に最後の大御所司会者として活躍

【豬哥亮】にとって、2009年から大腸がんが発覚する2014年までは彼の最後の業界キャリアになったのですが、かつて彼と同時期に活躍してきた大御所の司会者の中では最後の存在となっていました。

 

そういう意味では、2009年に復活できたことは、台湾の芸能界においてもある意味奇跡的なことだったかもしれません。

2009年の復帰後に他の大御所はすべて番組ストップ

【豬哥亮】が絶対的に司会者として活躍した80年代から90年代にかけて、同時期に台湾で活躍したもう1人の大御所司会者と言えば【張菲】と呼ばれる方がいるのです。

 

彼らは「南豬(南部の豬哥亮)北張(北部の張菲)」と言われ、高雄出身の【豬哥亮】は南部を拠点に活躍し、台北出身の【張菲】は北部を拠点に活躍して人気を2分していました。

 

【豬哥亮】の名前が先に出てきているように人気は彼の方が上だとされていた経緯がありますが、お互いの存在を尊敬していたと言われます

 

この【張菲】司会を含めた業界での活動について、2002年から2011年まで勤めていた人気番組【綜藝大哥大】の司会を含めて2012年までにすべて退いているのです。

 

つまり、【豬哥亮】は同年代の司会者の中でもより長く続けられたと言えるでしょう。

若手芸能人にとって破天荒さがデメリットになる教訓

結局のところ、2009年以降の復活劇【豬哥亮】と1度でも共演機会があった若手の芸能人にとっては、この大物司会者を反面教師にスキャンダルは身を持ち崩すということを学ぶことができた大きな機会だったかもしれません。

 

日本の芸能界でもそうですが、破天荒なキャラクターが兎にも角にも無条件に許されたのは昔の話となり、台湾でもそのようなキャラクターの最後の1人が【豬哥亮】であったのではないでしょうか?

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